関西で北海道帯広出身と言うと「どうして北海道の帯広から?」の質問が必ずあります。話せば長くなるのですが、沖縄の離島へ旅行に行った際に亡夫と知り合った縁で関西に嫁に来てしまい、もう44年目になります。当時の我が家は13人家族。食堂を営む姉夫婦とその子供たちに主人の両親で、一つ屋根の下に暮らし、それはもう賑やかで大変でした。

北海道人から見て関西は暖かく、過ごしやすいところしかない印象を受けますが、茅葺きの古民家(今は建替えましたが)は夏の暑さは想像以上で強烈な上、冬の暖房は炬燵と小さな石油ストーブで炊事場は土間の為、なんと寒い事か。北海道の家の造りと大きな石炭ストーブのほうが暖かかったように思います。日向の縁側が唯一暖かかった場所です。

当時の一家全員集合写真です

 家は専業農家でしたが、切花の菊の栽培を主にしていました。京都にある通販会社タキイ種苗の菊部門を受け持ち、春には苗を全国に出荷発送し、夏から秋には花を豊中の生花市場へ出荷していました。菊は挿し木でしか同じ花が出来ない為、注文された苗木を間違わないように気を遣いました。その合間に田植えや稲刈りと15年間その繰り返しでした。その間に5人の子供が出来、皆家の仕事を手伝わせたおかげで体力も根性も逞しく育ち、今ではとっても頼りになる子供たちとなりました。

 

                      菊と子育てで多忙な中の一枚です。

 

 関西帯広会との出会いで「ふるさとは遠きありて思ふもの」とつくづく感じます。今、人生を振り返ってみても、これで良かったと思え今がとてもしあわせであり、これからの人生もしっかり、歩んで行きたいと思っています。「今がしあわせ」な私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「今がしあわせ」な私です。

 

  記:田中 紀子