私の自己紹介させていただきます。
私は、昭和29年3月15日に帯広市で産声をあげ 柏小学校 第三中学校 柏葉高等学校まで帯広で過ごし北海道の大学に行けず関西の大学に進学(関西大学、経済学部)大学4年間は体育会 スキー競技部 クロスカントリー専門(15km,30km)で年間100日合宿ですごしておりました。何とか4年で大学卒業し、大手のアパレル会社に就職しましたが、今の家内と結婚する事で神戸で生活する事になり現在に至っております。
現在は、平成13年に (有限会社 ビッグツリー)会社を設立し兵庫県三木市(通称;金物の町)の地場製品のみを海外に販売する仕事をしております。年の3回位はタイ出張しており、昨年はJICA関連の仕事で2回海外出張などあり計年5回など。
今年、65歳になりましたので仕事の量も減らそうと思いますが 中々 難しいです。
また、副業で下記の仕事をしております。
   独立行政法人 中小企業基盤整備機構 企業支援部 実務支援アドバイザー
   公益財団法人 わかやま産業振興財団 登録専門家
   公益財団法人 かがわ産業支援財団  登録専門家
   公益財団法人 とくしま産業振興機構 登録専門家
   認定NPO法人 産業人OBネット 海外支援部 アドバイザー
   神戸市海外ビジネスセンター 登録アドバイザー
に席を置いております、中小機構の仕事は平成17年の登録から現在に至っております。
以上、簡単ですが自己紹介させていただきました。

下記は最近の出張報告です。ご興味のある方はご一読ください。

タイ&ラオス出張報告2019.4月20日

今年初のタイ&ラオス出張を報告します。今回初めてバンコク(ドンムアン空港)からラオス(ビエンチャン、ワッタイ空港)行きのLCC(タイエアアジア)を利用しました。
以前はスワンナプーム国際空港が出来るまでは国際空港はドンムアン空港で久しぶりでしたが殆どが変わらず懐かしさを感じました。エアアジアのカウンターでチックインを済ませて機内食がないので、空港の2階のフードコートに昼食しに行くと中国人の団体がおり、かなりの騒音と席を確保に苦労しながら何とか食事できましたが、スワンナプーム空港では味わえない経験でした。エアアジアの機内の席は前の席とのスペースが狭く、大柄な西洋人は窮屈そうで可愛そうですが、飛行時間1時間10分なので我慢できる範囲?。
ラオスから帰国時のドンムアン空港のイミグレーションでは、1時間位の時間を要して大変な目にあいました。時間帯も4時過ぎの為、空港から市内移動はなるべく交通渋滞の影響なしでホテルに行く為に、空港バスでモーチット公園の地下鉄乗り場まで行き、そこから地下鉄を利用して、バンコク市内に行く事にしました。今後はLCCとドンムアン空港を
利用するか???です。ラオスでの販路開拓は、今回含めて2回目ですが前向きな話なし。


ラオス;ワッタイ空港のタイ・エアアジア

親しい関係のできたビエンチャン市内の有力工具店の社長より、最近はビエンチャン市内で中国人移住して工具店を開き安価な中国製品を販売する影響でタイから入荷していた高価な製品(日本製品も含む)が売れなくなったので、在庫も調整している模様で協力したいが時期が悪いと言われております。

タイの取引先より新規の製品の引き合いをいただき、帰国後 三木の会社に問い合わせした処、この製品は職人が病気などの問題で見積も引き合いも辞退すると回答あり。急遽、三木市の隣の小野市の業者1社を探して相談した処、やはり職人が少なく見積するが受注時の納期のめどがたたないとの返事あり、その旨をタイの取引先に連絡してみると、この取引先も東京の会社に注文しているが納期が2年位かかっている事は判明した。今の日本において職人が1丁1丁手作りする高級品は、将来日本で製作が難しくなる事を今回は肌で感じました。
安価な製品は中国から入荷しているようで、昔からある高級品は将来職人を育てないと日本からこの製品がなくなります。私は三木市の地場製品のみを海外向けに販売しているが、今扱っている製品がいつまで海外で販売できるか?今回の経験でさらに危機感を感じ考えさせられました。ただし、今回新規製品の売り込みで新規受注はできております。
又、今回の3月タイ訪問時に3月24日タイ選挙の話をした処、取引先(ビジネスをしている)の考えとして、以前の赤シャツと黄シャツの対立しデモ(焼き討ちなどあり)で経済が混乱していた事を考えると今の軍中心の政治が落ち着いているので歓迎するという声もありました。今回はバンコク市内の3社しか訪問できなかったので、再度 6月にタイに出張する予定です(展示会視察)。前向きに頑張ります!


バンコク市内交通渋滞です。