私は稲田の日甜社宅で八人兄弟の六番目で四女として生まれました。二十五歳まで稲田で生活していました。
結婚で大阪に出て、二十六歳で長女を産み、二十八歳で長男、三十三歳で次男、三十八歳で次女を十二年間で四人に恵まれました。子どもを育てる間は主人の仕事がほとんど北海道から九州と出張の多い仕事だったので1人で育てたのと同じ。
近所付き合いが大変でした。


成長したお嬢様と。

四番目の子が四歳の時に縁あって今の職場に三十年。面接の時、休まず真面目に働いてほしいというのが条件でした。それが長く勤めが出来ている現在、大阪に何もわからず出てきて生活が少し落ち着いた頃に関西帯広会の連絡をもらい、すぐに出欠の返事をしました。何か長くさみしく、松原で生活の年月が過ぎた頃だったので、どれだけ嬉しかったか!同じふるさととは言え会いにいったら誰も知ってる人は居ませんでした。でも会があるたびに皆さんとお話が合い、今は帯広会が私の生きがい、会う楽しみが私の元気の元です。

関西帯広会のTシャツをきて活動中。

そして私のストレスを解消してくれるものは、花と果実を育てることです。小さい庭ですけどサクランボ(ちなみに四番目の子が十四歳の時に記念樹として植え、二十年たちジャムが作れるまでに育ちました)リンゴ、巨峰、ブルーベリー、温州みかん、ゆず、カボス、デラウェアー、花は色々ありますが特にゼラニウム、クリスマスローズに凝ってます。クリスマスローズは一重、八重の花があってどれ一つと同じ色がないような魅力的な花です。これからどれだけの花の数が集められるか楽しみです。

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手塩と愛情をかけた西村家の植物たち。

こんな私の元気は仕事をし、子どもの成長を遠くから喜び、自分の時間をみつけて終活をすること。そんな年齢にいつの間にかなってしまった自分、今日までこられたのも主人と子どもに感謝です。まだまだかんばろう。七十三歳。

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かわいいお孫さん(?)と。

                                          平成31年   西村喜代恵